(少し古いものになりますが、1997年に発売されたアルバム「イマジナリー・デイ」に関する記事を再掲します。「ジャズライフ 1997年12月号記事」、「イマジナリー・デイ来日記念盤(1998年9月限定発売)ライナーノーツ」向けに執筆した内容を再編集しました)

Imaginary Day
Pat Metheny Group
Warner Bros / Wea
1997-10-03



 「新しいジャズ・サウンドとはいったい何なのだろう?」 パット・メセニー・グループの新作がリリースされるたびに、そんなことを考えさせられる。いわゆるジャズの概念からはほど遠い機材や手法を用いながらも、彼らの作品は我々ジャズ・ファンの心をとらえて離さない。いったいこの魅力は何なのだろうか?


 パット・メセニー・グループ(以下PMG)が常に目指しているもの、それは「今までに誰も表現しえなかった最新の音楽を創り出すこと」である。

 PMGの1997年のアルバム「イマジナリー・デイ」は、このアルバムの前作「クァルテット(1996年リリース)」の「即興性」と対角をなす、「構築性」を究めたアルバムと言える。例えば一曲目の「イマジナリー・デイ」では、アコースティックな広がりを出すために、パーカッション類だけでもレコーダーの数十トラックを使って重ね録りされたといわれる。このように各曲のあちこちにちりばめられた様々な細かい音にも注意を払いながら、あらためてこのサウンドにどっぷりと浸ってみよう。
 
最新の音楽手法やテクニックを大胆に導入
 アルバム「イマジナリー・デイ」では、フレットレス・クラシカル・ギターや42弦のピカソ・ギターといった、パット・メセニーが特別にオーダーしたギターが特徴的に使われている。パットはなぜそんなギターを創ろうと思い、プレイしたいと思ったのだろうか? この「ギターそのものから創作する」というあたりから、すでに普通の感覚を超越したものがある。既成のギターでは表現できないイメージが彼の頭の中にあったというわけだろうか…

Into The Dream(ピカソギターの演奏)↓

 しかも彼はギターを創ることだけでは満足していない。例えばフレットレス・クラシカル・ギターに関していえば、ギターができた後も「音楽」として納得のいく演奏がなかなかできなかったらしく、このレコーディングの前に何年もかけて練習をすることはもちろんのこと、そのギターの特性を活かした作曲も試みている。さらにフレットレス・クラシカル・ギターでは充分なサスティンを得るために、高音弦にもワウンド弦を使用したり、軽くディストーションをかけてみたり、ということまでしている。単に「新しいギターによって個性的な音が出せた」というだけにとどまらず、とことんまでにこだわって、そのギターのポテンシャルを引き上げ、イメージしているサウンドを得ているのである。

↓イマジナリー・デイ(フレットレス・クラシカル・ギターの演奏)
  

 ライルもまたしかり。今までに無かった音楽を創るために今回も最新の機材を導入しているが、例えば一曲目「イマジナリー・デイ」のシンセサイザー・ソロでは、シンセとサンプラーを複雑に組み合わせて音楽的に創りこみをするなど、ただの「最新テクノロジーによる音」に終わらせず、最新の音楽として納得がいくまでの様々な工夫を凝らしている。しかも彼(彼ら)は新しい方向に目を向けているだけではない。別の曲ではシンセサイザーでオーケストラの定位をシミュレーションするなど、古典的な手法も優れたものはどんどん取り入れている。

 一方、アルバム全体を見渡すと、例えば「ルーツ・オブ・コインシデンス」では、前々作「ウィ・リヴ・ヒア」で取り入れたドラム・ループの手法を更に発展させ、テクノと混ぜ合わせるなど手持ちのテクニックと最新の音楽的手法を調和させて、PMGならではの最新サウンドを見事に生みだすことに成功している。

 このアルバムでは、ライルが言うところの「ミュージック・オブ・ユニヴァース(※)」にチャレンジしているわけだが、それぞれの曲はジャズ以外の音楽的要素を大胆に導入し、さまざまな国の音楽の香りをさせながらも、それが単なる「模倣」で終わっておらず、あくまでもPMGサウンドになっている点が素晴らしいのだ。従来からの音楽・音楽的手法を世界中から取り入れ、それらを最新のテクノロジーにも目を向けつつ、彼らなりの手法でPMGサウンドに昇華させる… 彼らの飽くなき探求心、そしてしなやかな順応性には感嘆せずにはいられない。

注:(※)「ミュージック・オブ・ユニヴァース」…ジャズライフ11月号のインタビューで、ライル・メイズは本アルバムに対して、「東洋的というだけでなく、もっと広く全地球的な音楽を捉えている。僕はそれをミュージック・オブ・ユニヴァースと呼んでいるし、グループのサウンドのキーワードでもある」と語っており、その後もインタビュー中では何度もこの言葉が繰り返されている。



ジャケットやブックレットに刻まれた「暗号」
 ところでこのアルバム「イマジナリー・デイ」のジャケットには、地球や木などの絵文字が並んでいるが、実はこれは「暗号」になっており、読み解いていくととても興味深いメッセージが浮かび上がってくるようになっている。
 
 暗号を解く鍵はCD盤とCDケース。CD盤には絵文字、CDケースにはアルファベットが印刷されているが、CD盤をケースに収めると、絵文字のひとつとケースのアルファベットの一文字が対応するようになっている。なんとCD盤自体が翻訳機になっているのだ。
pict2

 例として、アルバムジャケットの絵文字を読んでいこう。
 ジャケットの一番上には「木」「地球」「(踏切の)標識」が並んでいる。先ほどの「翻訳機」を取り出して、矢印を一番上にある「赤」に合わせてみよう。「木」→「P」、「地球」→「A」、「標識」→「T」と読むことができる。「PAT」だ!

Imaginary Day
Pat Metheny Group
Warner Bros / Wea
1997-10-03

 
 この作業を繰り返していくと、ジャケットの絵文字は、「PAT METHENY GROUP IMAGINARY DAY」と読むことができる。また、CDの中のブックレットにはたくさんの絵文字が並んでいるが、これらも同じようにアルファベットに置き換えていくことができるのだ。

注:暗号の仕掛けはこれだけでは終わらず… 実は、上記の翻訳パターンだけでは全ての暗号は読めない。CDの中の冊子で絵文字が始まるところに、赤や青やオレンジの箱が書いてあるところがあり、この色があるところは、その色に対応した翻訳機でないと読めないようになっているのだ。CD盤ケースには、「赤」「青」「オレンジ」のマークが埋め込まれており、CD盤に印刷された矢印をそれぞれの色に合わせることで、その色用の翻訳機にすることができ、解読ができるようになる。
 

絵文字に表現されたもうひとつのストーリー
 そしてさらに! 実はその暗号文の中身、読まずに済ませてしまうのはとてももったいない内容なのだ。そのため、ここでブックレットの絵文字をアルファベットに置き換え、さらにそれを日本語訳したものを紹介していきたいと思う。
(デジパック版ではジャケット見開きの黄色部分、ジュエルケース版ではブックレット最終ページの赤色部分。「」内の言葉はデジパック版にのみ掲載。絵文字の解読ではzurichさんに、日本語訳の細かい部分に関しては香西史子さんにご協力をいただきました。どうもありがとうございました)

(四角で囲まれた部分は暗号文、→以降は筆者のコメント)

 pict1
この絵文字を解読してアルファベットに置き換えると↓のようになる。

He was working on the transcontinental railroad, thinking of his friends and life back home. Were those just IMAGINARY DAYS?
~ I am certain of nothing but the holiness of the hearts affections, and the truth of imagination. Keats. ~
さらに日本語訳をすると↓のようになる
彼は大陸横断鉄道の列車の中で仕事をしていた。ふるさとの友人、そこで暮らした日々を思いだしながら。あれは架空の日々(Imaginary Day)だったのだろうか?
「わたしが確信をもてるのは、親愛の情の神聖さと、想像力の真実のみだ。--- Keats」
→まず、いきなりドラマティックな一曲目。絵文字のストーリーでは、このアルバムのコンセプトである「架空の一日」の紹介である。ある主人公(確かパットのコメントによれば「アメリカに来た中国人移民」という設定)が「架空の一日」へ誘(いざな)われていくさまを表現している。

(ちなみに上記の引用で英文中では大文字、日本語訳中では()によって強調したが、各パラグラフには曲名もしっかりと埋め込まれているという、とても凝った作りになっている。この先の文章中でも順番にきちんと曲名が出てくるため、今回の引用では同様に()で強調してみることとする)

夜が明け、夢は記憶さえ圧倒し、彼についてくるように(Follow Me)と静かに呼び掛ける…
「想像力は知識より重要である。---Einstein」
→ライナーノーツにおけるパットの言葉を借りれば「新たな風景に足を踏み入れたときの色調を定める作品」とのこと。一曲目とはうってかわってポップなサウンドカラーで、ナチュラルハーモニクスを使ったテーマ部のメロディが、主人公を夢の中に引き込んでいく。

そして彼は夢の中へ(Into The Dream)入り込んでいった。物語の中の物語(A Story Within The Story)を求めて。
「目に見えるもの、そして目に見えると思っているものはすべて、夢の中の夢に過ぎない…。---Poe」
→ピカソギターの独演による幻想的な作品。まさしく夢の入り口のようである。そして入り込んだ先で「A Story Within The Story --物語の中の物語」を求め、主人公は夢の奥へとどんどん入っていく。

それはそこにあった。架空の日の目もくらむ灼熱の中に(The Heat Of The Day)。可能なすべての未来が。
「可能性の緩慢なヒューズに火がともる、想像力によって。---Dickinson」
→フラメンコにも通ずるまさしく「灼熱」の一曲。ストーリーの中では、夢の中のまた夢の中で主人公は「それ」を見つける。後半読み進むとわかるが、「それはそこにあった」とは、未来のある瞬間を見てしまった、といった意味になると思う。

空一杯に(Across The Sky)、何千という顔がある。あらゆる肌の色、あらゆる人種、あらゆる人間が一つになっている。
「想像することは見ることである。---Levy」
→あらゆる人種が一つになっている… つまりこのアルバムに収められているあらゆる国の音楽、ミュージック・オブ・ユニヴァースのことも指していると思われる。

夢の中で彼が見た場所では、現実と偶然、必然性の神秘、偶然の一致の底(The Roots Of Coincidence)にある深い根が共に働き、魂の共同体を想像していた。
「想像力は魂の瞳である。---Joubert」
→「偶然の一致の底」とは実に意味深な言葉だが、「偶然を偶然たらしめるもの」「偶然は起こるべくして起きている」といった意味になると思う。未来に対してのパットの考え方と思うが、いったい彼は何を見てしまったのだろう??

このひそやかな夢。そして彼は明日があまりに間近に迫っていること(Too Soon Tomorrow)を知った。
「わたしの想像力は人間を、そしてわたしを愚者にする。想像力はわたしに全世界を与え、しかも世界から追放する。---Le Guin」
→夢から醒める前のひとときを感じさせる、スロウなバラッド。

架空の度合いも現実の度合も低いこの世界に覚醒しながら(The Awakening)、彼はただ一瞬訪れた未来の世界を忘れないだろうと思った。決して。
「人生には、想像の力に震撼した瞬間ほど忘れ得ぬ時間はない。---Emerson」
→長い夢の旅から醒め、主人公は現実の世界に戻される。今まで訪れた先々(リスナーにとってはアルバムのここまでの一曲一曲ともいえるだろう)をここで回想するのである。
 

 主人公は「彼」と三人称で書かれており、創り手であるPMGのメンバーにもなり得るし、聴き手である我々にもなり得る。主人公になりきって聴き返すことで、今までと違った聴こえ方・感じ方が出来るのではないかと思う。矢印の後にあるコメントはあくまでも筆者の印象であり、様々に感じとることができると思うが、いずれにしても、どの一曲が抜けてもこのアルバムは成り立たない、ということがよくわかる。文章はちょっとオカルティズムに通ずる内容でもあり好みは分かれると思うが、アルバム鑑賞の新たなアプローチに一役買うことが出来れば幸いである。



ブックレットにあるもう一つのメッセージ
 ブックレットにはもう一つメッセージが隠されているので、ご紹介しよう。こちらはPMGの音楽創造へのマニフェストともいえる内容となっている。

 先ほどまでの主人公が、架空の一日に飛び込んだその時を回想しているという設定である。
 (ブックレット内の青色部分。デジパック版、ジュエルケース版共通)
 架空の日にいたあの時… あらゆる音は音楽として知覚されていた 話し言葉の音楽として 音楽という織物が人間の魂の衣だった 想像力は存在の流れであった 魂の力は音で計られた 引き裂くことは本質的に聴くことと同義だった 全人類の歴史は耳で聞くことができた 創造力は慣用的定義に対する免疫力をもつがゆえに認識可能であった 今日こそ架空の日

 架空の日にいたあの時… あらゆる味覚は音楽として知覚されていた 音楽は魂の食物だった 味覚は音楽と同じ木になる果実だった 想像力は存在の流れであった 味覚は食欲をいや増した 深く真に聴くことは食べることと同じだった 創造力は慣用的定義を転覆する力を持つがゆえに認識可能であった 今こそ架空の日

 架空の日にいたあの時… あらゆる匂いの根源は音楽であった 音楽の芳香は世界の隅々まで満ちていた 音楽は人間の魂を香気で包んだ 想像力は存在と翼の流れであった 音楽が神の声であるということはただ呼吸の問題だった 慣用的定義は創造力と相いれないゆえに認識可能であった 今日こそ架空の日

 架空の日にいたあの時… あらゆる景色は音として知覚されていた 見ることは音楽だった 視覚のレンズの焦点はあらゆる音だった 創造力は存在の流れであった 魂の力に触れ聴くことはできるが鮮明に見ることは決してできなかった 見ることは聴くこと、そして聴くことは見いだし信じることだった 創造力はあらゆる定義を作り替える力をもつがゆえに認識可能であった 今こそ架空の日

 架空の日にいたあの時… あらゆる感覚は音楽として知覚されていた 感情は文字どおり音楽だった あらゆる感情は音楽的な音を通して表明された 感情の呼声は歌として現れた 想像力は存在の流れであった 感覚は聴くことも見ることもできた 創造力は慣用的定義に対する免疫力をもつがゆえに認識可能であった 今日こそ架空の日

 架空の日にいたあの時… 他者に触れることは楽器を演奏することだった 音楽は指先の触れるあらゆるものの上にあった どれほどかすかであっても触れることには音楽が伴っていた 欲望の情熱は音楽と同じ温度であった 想像力は存在の流れであった 触れることは聴くことだった 創造力は慣用的定義を超越するゆえに認識可能であった 今こそ架空の日

 パット・メセニー with スティーブ・ロドビー

 先ほどまでの文と異なり三人称ではなく独白スタイルで書かれており、パットとスティーブのクレジットとなっている。つまりこれはアルバムを創っていく過程でイメージした、PMGにとっての「架空の一日」を表現しているといえる。

 「架空の一日へと入っていったら、あらゆる音・味覚・匂い・景色・感情・触覚は音楽に通じていたんだ…」とは、彼らは人生のすべてを音楽に捧げているということであろう。そして「創造力は慣用的定義を超越する」といった表現を繰り返しているのだが(パットは原文では「idiomatic definitions」という学術的な表現で書いているので、原文に忠実に難しい言葉での訳を選んだ)、分かり易くいうと「創造力を高めて、ありきたりなものを超えようではないか」「決まりきった定義にしばられるのはごめんだ」「既成概念を覆す想像力をいつも持っていなければダメなんだ」というメッセージなのである。
 
 これは常に新しいサウンドを創り続けるPMGの姿勢そのものではないか! このアルバムには、サウンドだけでなく、こんなメッセージも隠されていたというわけなのである。
 「今までに誰も表現しえなかった最新の音楽」を追い求めながら、ジャズ・シーンの最前線で活躍し続けるPMG。純粋に音楽を愛して止まないというこの彼らの姿勢に、感嘆するとともに心から敬意を表したい。 

久保 智之